大塚楠緒子短篇集
1908(明治41)年
2,000円 四六判(128×188ミリ)/56頁
大塚楠緒子(1875~1910、おおつか・なおこ。名は「くすおこ」とも。歌人・小説家)の、『曉靄(ぎよあい)集』に収載された短篇5作(「カンフル」「捨兒」「上下」「馬の顔」「濱まつり」)。
楠緒子は、夏目漱石の友人であった美学者・大塚保治の妻だったが、雑誌太陽・朝日新聞・万朝報に短歌や小説作品を発表し、マクシム・ゴーリキー、メーテルリンクの翻訳も行なったという才色兼備の女性。
早世したとき、漱石は「あるほどの菊投げ入れよ棺の中」という手向けの句を詠んだ。
日本絹紡糸事業概観
1980(昭和55)年/日本絹紡協会 発行
4.800円 A5判(148×210ミリ)/188頁
明治10年(1877)官営屑糸紡績所設立にはじまり、生糸は明治・大正期の代表的輸出産業となり、最大の外貨獲得を担った。
明治政府の殖産興業の最大の柱というべきもので、原料としての養蚕業の二次産業的立場、各紡績会社の兼業的性格という、業界としての特殊性にもかかわらず、社会情勢の激しい変化にさらされながら絹紡糸事業はよく健闘した。
戦後は国内産業化の道を進んだが、その百年の歩みを初めて叙述した業界史。日本絹紡協会が同協会勤務の島元義枝に執筆を委託した。
琵琶湖運河の開鑿に就て(工學博士田邊朔郎氏講演)
1941(昭和16)年
2,500円 四六判(128×188ミリ)/40頁 極秘印有リ
戦前、日本海と大阪湾を結び、本土横断を実現する琵琶湖運河の開鑿について調査・研究が行われていた(新日本海ルート)。
1万トン級の船舶の往来が可能となる。推進したのは大阪商工会議所交通部会。琵琶湖疎水や日本初の水力発電所の建設を指揮して、近代土木工学の祖といわれた田邊朔郎博士がこの問題について講演したのが本記録。
講演の3年後、博士は死去し、計画は今日に至るも実現していない。本書には関連する「艀鉄道(バーデレイル)建設」などについての計画書も併載している。
肥後政友會史
1937(昭和12)年/肥後政友會史刊行會 発行
5,000円 A5判(148×210ミリ)/354頁
肥後国(熊本県)における立憲政友会の歴史を、維新期の政党発生から昭和11年(1936)二・二六事件勃発までを綴る。
端緒は維新前後の紫冥会・相愛社の創立であり、さらに熊本国権党と九州改進党の対立を経て、自由党・改進党の合同により明治33年(1900)立憲政友会(肥後政友会)の創立に至る。
この間、民権・国権の対立、帝国議会開設、地方自治制度の統一、そして立憲政治・政党政治確立とつづく明治国政と、熊本地方の政党展開はパラレルだった。
佐々友房・松山守善らを筆頭とした錚々たる国士的政治家の跳梁。肥後は保守の金城湯池となる。原本・上製。定価5円。
昭和九年一月八日京都驛惨事記録
1935(昭和10)年
3,500円 A5判(148×210ミリ)/104頁
昭和9(1934)年1月8日、呉海兵団に入団する217名を見送ろうと、6,000人の群衆が京都駅(旧)に殺到し、階段付近で重圧のために人が折り重なる事故が発生する。
死者77・負傷者157名の未曾有の大惨事となった。翌年に京都府警察部が事故の顛末から死亡者・負傷者一覧表、原因究明と防止対策、各新聞の社説まですべてを記録にまとめ、非売品として冊子化した。
昭和天皇・皇后は事故の救恤金として800円を下賜。齋藤京都府知事の序文、宮内大臣電文、構内見取図3枚を冒頭に掲げる。
協和會員に告ぐ
康徳7年=1940(昭和15)年/冊子
2,000円 四六判(128×188ミリ)/52頁
建国後の康徳7年(1940、昭和15年)、満洲国の建国神廟(天照大神を神とする)の創建に際し渙発された詔書、国務総理大臣(張景恵)の奉答書、布告などを冒頭に掲げ、日本の大政翼賛会にあたる「満洲帝國協和會」の会員へ呼びかけられた8本の文章を収める。
帝国協和会は満洲国における一党独裁的な政党である。8本の中に総務長官・星野直樹(満洲国の実力者だった“二キ三スケ”の一人)の呼びかけ文もある。
この年、紀元2600年にあたった大日本帝国と一体の「八紘一宇」イデオロギーを謳歌するものとして、傀儡国家・満洲国の支配がすすめられたことが窺われる。
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